新しいモビリティの社会受容性と地域づくり ―前編―


新しい製品やサービスの普及には3つのハードルがあるという。第一のハードルは技術。自動運転の場合はいままさに研究開発が進んでおり、解決すべき課題も見えつつある。第二のハードルである法律も議論が煮詰まってきた。そして最後に越えるべきハードルは社会受容性。第一生命経済研究所 調査研究本部・ライフデザイン研究部 主席研究員の宮木由貴子氏に、自動運転における社会受容性とは何か、ハードルを越えるためのヒントを伺った。

Date:2019/04/18
Text:大貫愛美
Photo:友成匡秀
聞き手:サイエンスデザイン 林愛子

 

モバイルの普及に見る社会受容性の高め方

――ここ数年間で自動運転に対する認知度は急激に高まってきました。全国各地で実証実験が行われ、実用化に期待する声も多く聞かれます。

宮木氏: 新しい技術の普及が社会や生活をガラッと変える、という意味では、自動運転はスマートフォン(スマホ)以来のセンセーショナルな出来事ではないでしょうか。

 私は以前、携帯電話の若者マーケットの調査を担当したことがありまして、自動車が普及している土壌に新たに登場する自動運転は、固定電話がありながら普及していった携帯電話やスマホと似ているところがあると感じています。

 現在のスマホのようなものは、突然普及したわけではなく、今のスマホの機能を思わせるさまざまなものが登場しては消えていった時代がありました。携帯電話やPHSが普及期にあったそのころ、通信スピードやコストの関係もあって、「手元でインターネット」を使う端末は消費者に定着せず、結局何年も経ってから現在の形態のスマホが市場を席巻したのです。これは、「手元でインターネットを使う」こと自体が否定されていたわけではなかったということを意味します。社会に新しいテクノロジーが普及するにあたっては、技術のレベルや形態だけでなく、タイミングや社会の意識など、いろいろな条件がそろってこそなのだと思います。

――非常に興味深い視点です。自動運転の普及に必要な“社会の意識”とはどういったものでしょうか。

宮木氏: 自動運転の利便性は理解されているでしょうが、従来の自動車のリスクがゼロになるわけではありませんので、その点をどのように受け入れていくかが課題です。いま現在、年間3500人強が交通事故で亡くなっています。でも、「クルマは危ないから社会からなくそう」という風潮にはなりません。リスクを理解した上で、それを上回るクルマのメリットを感じているから、保険加入や安全運転といった自助努力と一定の自己責任の意識をもって使っているわけです。このように、リスクや責任を理解した上で受け入れることが「社会受容」だと考えています。

 自動運転の社会受容性を醸成するのであれば、モビリティにそれほど不便を感じていない人をさらに便利にする(1を2にする)よりは、モビリティが足りていないところ、ないと困るところに提供する(マイナスの状態をゼロや1にする)のが最も効果的だと思います。

――「あれば便利」と「ないと困る」の優先順位付けということですね。確かに後者の方が共感を得やすそうです。

宮木氏: いままでモビリティが不十分で外出できなかった人が外出できるようになる、運転免許証を持たなくても行きたいところに自由に行かれるようになる、といった社会的なインパクトは非常に大きいと言えます。自動運転技術によってそれを叶えることで、これらの技術に対し「ないと困る」という気付きを持ってもらう。これがスタートになると考えています。

――携帯電話などのモバイルでもそういった転換点はありましたか。

宮木氏: モバイルにはいくつかの普及パターンが見られました。たとえば「自動車電話」として普及した北欧のモデル。寒くて雪も多い北欧は移動をクルマに頼るクルマ社会で、路上で動けなくなることは生死に関わる問題だったので、電話を利用できるようにすることに大きな意味がありました。自動車電話は命を守るツールだった訳です。

 それに対して、香港ではビジネスパーソンの仕事ツールとしてモバイルが普及しました。日本でも携帯電話などは高額だったこともあってビジネス利用が進みましたが、PHSやポケベル(ページャー)は女子高生のコミュニケーションツール(遊び)として爆発的に普及しました。

 さらに、モバイルはコミュニケーションのメインを一対一の長時間交流から、多数との常時交流に変えました。今の団塊ジュニア世代(40代後半)くらいまでですと、夜中に友だちと何時間も長電話をして親ともめた世代ですが、高校時代にポケベルが普及した世代くらいからはコミュニケーションの形態が変わりました。

 こうした変化を、「対人関係が希薄化した」「広く浅い付き合いしかできなくなった」と指摘する声もありますが、私はそれは違うと思っています。今は、中学、高校、大学を卒業しても友人関係がストックされ、いつでも気軽に連絡を取り続けられるようになったので、友達に会う機会は以前より格段に増え、つながりの量と幅は増しているととらえています。年に1度の年賀状のやりとりをする相手に、「今年こそ会いたいね」と書き続けて10年20年経つことがありますが、SNSなどでつながっていると対面の機会が持ちやすくなるものです。

 自動運転の将来を考える上で、このようなモバイルの変遷がヒントにならないかと最近よく振り返っています。

 

必要性が認識されないと社会受容性は高まらない

――スマホはいまやなくては困る存在だと言えますが、自動運転を「ないと困る」と認識してもらうにはどうすれば良いのでしょうか。

宮木氏: 自動運転の実証実験を行う地域でアンケートなどをすると、自動運転の必要性については「考えてみたことがないので分からない」(もしくは無回答)との回答が多く見られることがあります。つまり、人々は普段モビリティを意識することなく、今の状況を「当たり前」のものとして生活しているのだと思います。スマホがない時代に「手元でいつでもインターネットができる」ことの利便性を言われても、ピンと来なかったのと同じです。

 自動運転について「あったらほしいですか?」と質問すれば、多くの人が「ほしい」と答えるでしょう。しかし、これには、「有人バスが1時間に数本走るなら本当はそれがベストだけど、無理だろうから自動運転でもいいや」という、消極的な「ほしい」も含まれています。消費者の回答は、質問の仕方で大きく変わります。よって、私は比較で尋ねるようにしています。たとえば、「運転手がいるバスが1日に5本走るのと、無人バスが1日に10本走るのとどちらがいいか」といった具合です。

 そもそも自動運転のアンケートは非常に難しい部分があります。今までにないものを想像して回答してもらう上に、自動運転や自動ブレーキ、ラストワンマイルといった言葉は最低限の説明が必要です。でも、質問文が長くなると回答率が下がってしまうのです。

――アンケートでは都市の規模も考慮されていますか。

宮木氏: 都市規模はもちろん大事な指標ですが、それだけで分類するのは乱暴だと思っています。都市規模が大きいエリアにいても、駅が遠い地域や公共交通機関が使いにくい地域もありますし、都市規模が小さくても駅やバス停が目の前にある人もいるでしょう。若い人には問題なくても、お年寄りや身体の不自由な方には不便と感じられるエリアもあります。

 過去の調査では、住んでいる都市の規模と都道府県に加え、モビリティ状況について複数の質問をしました。その結果、政令指定都市の在住者でも、約3割の人が「日常生活にクルマが不可欠」と回答しました。東京都区部でも駅まで徒歩15~20分かかるなら不便ですし、市町村でも不便と感じていない人が8.5%います。個人が、自分のモビリティ環境をどう評価しているかという状況を併せて見る必要があると感じています。

 

後編へつづく

 

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