内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム自動運転(SIP-adus)が主宰するイベント「市民ダイアログ」が長野県伊那市で開催された。市民ダイアログの地方開催としては、昨年の香川県小豆島に続く2度目の取組みで、中山間地域ならではの移動の課題があぶりだされた。
Date:2019/08/08
Text&Photo:サイエンスデザイン 林愛子
府省庁横断型の国家プロジェクト、戦略的イノベーション創造プログラム自動走行システム(SIP-adus)が昨年から第2期に突入した。プログラムディレクターは引き続きトヨタ自動車 先進技術開発カンパニー 常務理事である葛巻清吾氏が務め、研究開発等を推進していく。第1期では協調領域と競争領域のすみわけを図りながら基盤技術を固めていったが、第2期ではオーナーカーの技術開発ターゲットを高速道路から一般道へと広げていくとともに、物流/移動サービスの実用化にも力を入れていくという。
プログラム名には新たに「自動運転(システムとサービスの拡張)」というサブタイトルがついた。自動運転の技術開発は技術主体に考えるプロダクトアウト型から、新しい技術を使っていかなるモビリティサービスを実現していくのかというマーケットイン型へ、新たなフェーズに入ったと言えるだろう。
サービス(コンテンツ)開発は以前からその重要性が指摘されていたが、実のところ、実現可能な技術やコストが見えないとサービスを考えにくく、具体的なサービスが分からないと適切な技術開発が進まないという“ニワトリタマゴ”の状況にあった。これからはますます人間中心の設計思想が要求されることになる。SIP-adusが以前から市民と直接の対話の場として開催してきた「市民ダイアログ」は今後ますます大きな意味を持ってくるだろう。
子育て世代を支援する「くらしのシェア」
本年度最初の「市民ダイアログ」は8月5日に長野県伊那市で開催された。地方都市での開催は昨年の香川県小豆島に続き二度目となる。
伊那市は南アルプスと中央アルプスに囲まれ、天竜川が流れる自然豊かな中山間地域。農業や林業などの一次産業のほか、精密機器や食品加工などの産業もある、いうなれば日本の縮図のような場所だ。人口は7万人弱で、多くの地方都市と同様に高齢化が進む。移動手段ではマイカーが最多で、公共交通の利用者は通学者が多い。
これからますます高齢化と人口減少が進むことが危惧されるなかで、現在のような交通と物流を維持していくことは難しいことから、伊那市では官民連携の自動運転サービスと効率的な公共交通の構築に取り組んでいる。昨年は道の駅「南アルプスむら長谷」で自動運転車両を使った実証実験を行い、市民の足としての可能性を検討したほか、貨客混載やドローン物流のテストにも取り組んだ。市民ダイアログに参加した市民にはこのときの参加者も含まれる。一口に”伊那市民”と言っても、自動運転に対する理解は人それぞれで、実証実験が開催されたことを知らなかったという市民もいた。
市民ダイアログは伊那市民21人と、SIP-adus関係者および有識者として国際自動車ジャーナリストの清水和夫氏が加わって行われた。市民の属性は多様で、路線バスやタクシーの事業者、農業や林業の従事者、食品加工や観光、医療などに携わっている人たち、高齢者や子育て世代、学生など、年齢も職業もバラバラで、それぞれの立場から伊那市の交通について意見を出していく。
前半は主に現在の移動の課題について話し合った。
公共交通が十分ではないことが前提になっているが、唯一の高校生参加者である男子生徒は「自転車での移動がほとんどで、自分が移動することには困っていない」という。しかし「テレビを見てピザが食べたいと思っても、ほとんどの出前は配達区域外で利用できない。ドローンを組み合わせて配達が可能にならないかと思う」と述べた。
子育て中の女性は「子どもの塾や学校の送迎の時間が重なって忙しいので、自動運転を使って『くらしのシェア』ができないかと考えている。現状は個人情報保護のためにシェア情報を開示できないことが多いので、それをどうやって打開していくかも重要なポイントだと思う」と語った。
また、福祉の仕事に従事している男性は「車イスやシニアカーは1.5cm程度の段差も障壁になる」と指摘。冬場は特に積雪や路面凍結があるため、移動の難易度はさらに増す。路線バスが通る幹線道路は除雪が行われるが、自宅から幹線道路までは住民自身が除雪をしなければならない。高齢者や障がい者にとって除雪は難しく、それが引きこもりのきっかけになる可能性もある。雪が降る地域ならではの課題と言えるだろう。
健康医療の課題をモビリティは解決し得るか
ダイアログ後半では自動運転や今後の交通について意見を出し合った。
タクシー事業者の男性は道の駅で実証実験を行うことを知っていたが、参加は見合わせた。現状のタクシーに代替する交通手段だとすれば「完全なレベル4じゃないと価値がない」と思ったからだ。ただし、先ほど話題になった自宅から幹線道路までの移動については「磁気マーカを使ったレベル4が使えるかもしれない」と指摘した。
これに続いて高校生は「(お召し列車のように)自宅前に箱のような専用車両があり、幹線に出ると自動運転車に接続できて病院でもどこにでも連れていってもらえる。そんな乗り物はできないだろうか」と提案。この柔軟な発想に座は大いに盛り上がり、福祉事業従事者の男性は「それだとまったく歩かなくなって健康によくないので、健康維持のために、適度な歩行を組み合わせた仕組みができるといい」と、さらなる提案を重ねた。
高齢化が進む伊那市では健康・医療も大きなテーマとなっている。市民ダイアログの会場になった「気の里ヘルスセンター栃の木」はまちづくりの拠点だが、その名の通り、市民の健康づくりを意識したもの。伊那市は今年5月にMONET Technologiesとの連携を発表し、今年度中にも医師による診察を遠隔で受けられる移動診察車の実証実験を予定している。
約2時間の市民ダイアログを終えた参加者からは「(幹線道路から自宅までの)ラストマイルの問題や、くらしのシェアといった議論は印象に残った」「どんなサービスができるのか、人々が何を求めているのか、なぜ移動したいのかといった視点を取り込むことで、新しい仕組みができるのではないか」といった感想があがった。
小豆島で開催した市民ダイアログでは海上交通や観光促進など離島ならではのテーマが話題になったのに対して、今回は除雪や林業(木材の運搬)といった中山間地域ならではの課題があぶりだされた。良い事例を作って、そこから横展開することももちろん重要なのだが、地域の課題はそれぞれに異なる。加えて横展開したくなるほどの成功事例を待てるほど、悠長に構えてもいられない。地域交通の維持は喫緊の課題なのだ。こうした市民ダイアログの成果が新たなサービス開発にいち早く結びつくことを願わずにはいられない。
離島で考える地域交通のあるべき姿(前編)SIP市民ダイアログレポート
離島で考える地域交通のあるべき姿(後編)さまざまな個性を持つ瀬戸内の島々で