AIは業務効率化や生産性向上にどこまで寄与できるのか ― トヨタやホンダがIBM「watsonx」で挑む「ものづくりイノベーション」


機械学習の発展や深層学習の進展を背景に巻き起こった第三次AI(人工知能)ブーム。それ以前のブームは局所的な運用に留まったが、今回のAIは誰もが気軽に触れられる存在となり、さまざまな業種・業務に適用可能性が広がった点が大きな違いと言える。では、実際にどういった場面でどのような効果が期待できるのか。日本アイ・ビー・エム(日本IBM)の「watsonx」を活用したトヨタシステムズと本田技研工業の取組みを紹介する。

Date:2024/8/23
Text:サイエンスデザイン 林愛子

 

「ビジネスのためのAI」を主題に開かれた日本IBMのイベント「Think Japan」

 

日本IBMは毎年、先進技術を導入事例とともに紹介するイベント「Think Japan」を開催している。今年は7月11日にホテル雅叙園東京(東京都目黒区)にて、「ビジネスのためのAI」を主題に行われた。

現在は第四次AIブーム と呼ばれ、ベンチャー企業も含めて多数の企業がこぞってAIに取り組んでいるが、IBMとAIの歴史は古く、1950年代から研究が始まっている。数あるAIサービスのなかでも別格の実績を有すると言っていいだろう。 現在提供するAIプラットフォーム「watsonx」は2023年に発表され、ビジネスでのAI活用を強力にサポートすることを目指している。「watsonx」を導入することで何ができるのか、まずはその具体的な事例を見て行こう。

 

社内の膨大なレガシーを未来へ 若手とベテランの共創に手ごたえ

トヨタシステムズでは、2023年12月から「watsonx」を使った業務改革に取り組んでいる。適用範囲はコールセンター問い合わせ対応の自動化などの「ビジネスへの付加価値創出」、議事録作成や受発注業務の効率化などの「バックオフィス業務効率化」、そして、システム開発への適用を目指す「IT活動の生産性向上」という3項目。同社取締役の加納尚氏は『生成AIでトヨタシステムズのIT開発・保守の生産性向上実現へ』と題した講演を行い、3点目の「IT活動の生産性向上」について詳しく紹介した。

 

生成AIを使った IT開発・保守の生産性向上について語ったトヨタシステムズの加納尚氏

 

2019年にトヨタグループのIT関連会社3社の合併で誕生した同社には新旧さまざまなシステムがあり、その多くが開発から時間が経過した「レガシー」で、COBOLが使われているものも少なくない。レガシーを将来的な環境に適合させるための作業が必要と分かっていながらも、普段は新規開発が優先され、レガシーが塩漬けになっていることが課題だった。加えて、COBOLやレガシーシステムは対応できるエンジニアがベテランばかりで、要員の高齢化も課題になっていた。

「日本中でシステムエンジニアが不足していますから、ノウハウ継承に生成AIを用いて開発の効率化やノウハウの可視化を図ろうと考えました。具体的には、COBOLなどを使った仕様書からプログラムを生成する『プログラム生成』と、既存のプログラムから仕様書を生成する『仕様書生成』に取り組みました。共通するテーマは生産性向上ですが、COBOL有識者の依存度を下げる狙いもあったので、プロジェクト体制としては数名の有識者のほかは、若手エンジニアから希望を募って参加者を選出しました」

生成AIを使って期待通りのアウトプットを得るためには、AIへの指示である「プロンプト」を的確に出す必要がある。今回のプロジェクトでは生成AIの熟練者がいなかったこともあり、プロンプトのチューニングのために、日本IBMのAIスペシャリストが伴走サポートする体制とした。

その結果、プログラムを元にした「仕様書生成」は非常に高い生成率を達成。仕様書作成の工数については従来の開発工数から微減にとどまるものの、COBOL有識者の工数に限れば当初比で大幅減に成功している。また、仕様書を元にした「プログラム生成」についても高い生成率を達成した。生成工数は従来と大きく変わらないものの、やはりCOBOL有識者への依存度は大きく減らすことができた。

 

 

工数が微減にとどまった理由について、加納氏は「AIが出したコードが本当に確かなモノか、大丈夫なのか、心理的安全性の問題がまだ残っているのでは」と分析する。つまり、生成AIによって工数を減らすことはできたが、アウトプットの確認やテストに工数をかけたようだ。また、今回はプロンプトをかなりチューニングしており、汎用的な手法ではない点も留意すべきだろう。加納氏は「企業それぞれに開発の背景や経緯があるので、それをきちんと学習させる必要があり、そこが工夫のしどころ」だと述べた。

「今回の活動で一番嬉しかったのは若手のモチベーションがアップしたことです。若手をレガシーの分野にアサインすると『なぜやらなければならないのか』といったネガティブな声が多かったのですが、生成AIと組み合わせたことで前向きに楽しく参加してくれましたし、実際に成果も出ました。若手とベテラン、レガシーと先端技術、こういった組み合わせによって社内の活性化やモチベーションアップ、ひいてはアウトプットの最大化までも実現できる……。こういうことが今後考えるべきポイントなのだと、改めて気づかされました」

トヨタシステムズでは今回の成果を踏まえて、実業務への適用を視野にアプリケーション開発の新しい業務プロセスの検討を進める計画だ。将来的には生成 AI の活用により、大規模基幹システムのモダナイゼーションのさらなる促進やシステム開発の抜本的な見直し、新しいアプリケーション開発のあり方を含めてDXを推進していく。


エキスパートの頭の中にあるノウハウをモデル化し広く活用

ホンダはBEV完成車開発統括部 BEV車両開発一部の部長でシニアチーフエンジニアの安原重人氏が「AI活用による新たな提供価値を生むための創造的時間の創出」と題したプレゼンテーションを行った。AIを導入する目的として、生産性向上やノウハウの継承などを掲げている点はトヨタシステムズとも相通ずる部分があるが、実務的にはまったく異なるアプローチで進めている。

「DXを達成するにはかなり多くのステップが必要で、まずは日々蓄積されるノウハウを表に出し、共有化することが重要です。そのノウハウの中でも特に重要な、エキスパートの頭の中にある情報を一元化してデジタル化することで、データとして再利用可能な状態にしようと考えました。そこまでできて初めて作業やプロセスの自動化が実現でき、生産性の向上と創造的な時間の創出ができます」

 

「AI活用による新たな提供価値を生むための創造的時間の創出」と題して語ったホンダの安原重人氏


ホンダが最初に取り組んだのは暗黙知の表出化やデータの構造化だ。具体的には、知識データを「非構造・構造」「見えている・見えない」で分類して四象限に落とし込み、そのなかでも最も濃いデータは「非構造」かつ「見えない」領域にあり、これを「構造」「見えている」領域にシフトしてモデル化することを試みた。

エキスパートのエンジニアは開発に際して、手順書や過去のトラブル集、開発履歴などを知識として活用していることから、エキスパートの頭の中の情報を「知識」「思考」の2つに分類することとした。知識は手順書などが相当するが、必ずしも一元化されていなかったため、モデリング言語を用いてモデル化した。もう一方の思考は「思考実験」「モデル入力」「モデル管理」という3つのプロセスからなるアプリを使用し、開発における多種多様な手順をスコアリングした。これを使うと、経験が浅い若手エンジニアでもエキスパートのような手順を選択しやすく、最短のルートで課題解決にたどり着くことができる。

「現場で使ってみたところ、若手エンジニアの効率化に効果があり、エキスパートが若手をサポートする時間も減りました。このときは生成AIがなく、仕組みづくりに膨大な時間と労力を要したのですが、生成AIやLLM(大規模言語モデル)といった新しい技術を活用できるのではと考えました」

最も時間と労力がかかっていたのは「非構造・見えない」データを「構造・見える」データにする工程で、ここにLLMを適用することで大幅な省力化の可能性があることから、昨年末、社内の技術文書を対象に検証を行った。技術文書だけに、データであったりグラフや図であったり、非言語の情報も多数含まれていたことから、複数のモデルを検討。例えば、画像に関してはマルチモーダルモデルを適用し、プロンプトを使い分けるなどの工夫を施したことで言語化に成功している。一方、ループ図のような概念図はなかなか言語化ができなかったが、「生成AIは日々新しい技術が生れていますから、今後もトライしていきたい」という。

安原氏は「ホンダとしては、より多くの方々に、人の役に立つ製品やアイデアを生み出したいと思っており、これまでのノウハウやテクノロジーをセキュアな環境の下で活用し、新しいことにチャレンジしていきたい」と締めくくった。

 


四度目のブームにして初めての本格普及フェーズか?

AIという言葉が誕生したのは1956年のこと、計算科学が目覚ましく発展を遂げるなかで、ダートマス大学助教授のジョン・マッカーシーらが新しい学術分野を議論するための研究会「ダートマス会議」を開催し、そこで初めて「Artificial Intelligence(人工知能)」という言葉を使った。

これを契機に探索や推論の技術を中心とした第一次AIブームが巻き起こるも、社会の期待と実装可能な技術との乖離からブームは終息する。二度目のブームは1980年代で、膨大なデータを使った知識表現の技術が注目されたが、やはり利活用は限定的だった。

2000年代に入ると機械学習や深層学習の研究成果が実を結び、現在まで続く第三次ブームに突入する。将棋や囲碁でAIが人間のプロ棋士に勝利したり、膨大な画像を学習することで猫の画像を識別できるようになったり、さまざまな革新的技術が話題を呼んだ。モビリティ界隈でも高度運転支援システムや自動運転バスなどに加えて、車両の生産工程や運輸業の需要予測などにもAIが活用され、今後ますます適用対象が広がると見られる。

更に期待がかかるのは、こちらからの指示や要望に対して、テキストや画像などのコンテンツを返す「生成AI」の存在だ。とりわけインパクトが大きかったのは、2022年に無料公開されたOpenAIの「ChatGPT」で、一般的にはこの頃から第四次AIブームが始まったとされる。ほかにも日本語のテキスト生成が得意なAnthropic「Claude」、多様なコンテンツに対応するGoogleの「Gemini」など、さまざまな生成AIが存在する。

企業においても様々な業務でAIの利活用が始まっているが、特に製造業において、生成AIを今後うまく活用できるかどうかは競争力を左右する大きな要素となり得る。着目すべきは、自社独自のデータを使うことでモノづくりの独自性が高まり、競争力を向上させることができるという点だ。企業ごとに異なる独自データをどう有効に生成AIに活用できるのか。そうした部分においては、企業の業務やユースケースの難易度に合わせた基盤モデルを柔軟に組み合わせられるwatsonxは強みを発揮できるだろう。

この数年間でAIに触れる機会は急増したが、本格的な業務への適用となると、まだまだこれから。従来のソフトウエアやシステムはある程度の完成品に対して、人間が慣れていくことが業務効率化の近道だったが、AIに完成品はなく、自社のデータを使って学習させながら育てていく必要がある。生産性向上や業務効率化に寄与するAIをいかにして効率よく育てていくか、そのプロセスごと考えていくことが求められている。

 

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