コネクト技術で交通事故死ゼロを目指す


交通事故による死亡重症者を減らす上で画期的な取組みとなる救急自動通報システム「D-Call Net」が4月から本格運用を開始した。大学病院での現場取材からも、この新たなシステムに対する期待の声は大きい。モビリティが大きく変化する今こそ、「医工連携」をキーワードに、クルマと医療をつなげるオールジャパンでの取り組みが必要だ。

Date:2018/08/30
Text:自動車ジャーナリスト 清水和夫

医師や看護師を乗せて救急医療の必要な現場へと急行するドクターヘリ

 

 事故現場や被災地など救急医療が必要な場所へいち早く駆けつけるドクターヘリ。最近映画化されたテレビドラマ『コード・ブルー ―ドクターヘリ緊急救命―』でもクローズアップされ、親しみを覚える人も多いだろう。このドラマのロケ現場でもあり、日本における救急ヘリ基地病院のパイオニアの一つが、この日本医科大学千葉北総病院だ。

 同病院の運航管理室には、ドクターヘリの出動を要請する連絡が次々と入ってくる。ドクターヘリの年間出動回数は、全国で約2万8000回。千葉北総病院だけでも年間1400回に上る。取材中にも、フライトドクターを乗せたドクターヘリが千葉県流山市方面の現場に向けて飛び立っていった。

ゴールデンアワーは60分間

日本医科大学千葉北総病院救命救急センター助教の本村友一医師

 フライトドクターでもある同病院救命救急センター助教の本村友一医師は、交通事故などの救急医療においては、「受傷してからの60分間がゴールデンアワー」だと強調する。つまり、60分以内に根源的な治療ができるかどうかが、事故に遭った人の生死を分けてしまうのだ。

 一刻も早く医療を行うには現場にいち早く到着しなければならない。そこで誕生したのがNPO法人救急ヘリ病院ネットワーク(HEM-Net)やトヨタ自動車などの連携による救急自動通報システム「D-Call Net(R)」だ。クルマの最新コネクテッド技術と死亡重症確率推定アルゴリズムを使うことで、ドクターヘリが現場に向かうまでの時間を大幅に短縮する。

 D-Call Netは、NPO法人救急ヘリ病院ネットワーク(HEM-Net)やトヨタ、ホンダなどが連携して開発した。2015年11月から試験的に運用し、18年4月から全国で本格稼働している。現在の協力病院は31道県42基地病院(ヘリ37機)。今般、試験運用の開始当初から緊急通報サービスを提供してきた日本救急通報サービス(HELPNET)に加えて、サービスプロバイダーとしてボッシュサービスソリューションズ、プレミア・エイドも参画し、広がりをみせている。

 D-Call Netの仕組みは、対応車両が事故に遭うと、車両データを基にクルマの乗員の死亡重症確率を推定し、消防本部と協力医療機関へ自動的に通報するというもの。その際にクルマの位置情報のほか、衝突の方向や衝突の厳しさ、シートベルト着用や多重衝突の有無など詳しい情報も同時に配信される。

D-Call Netの仕組み

 

 本村医師はこう話す。

 「これまでのシステムでは平均して、ドクターヘリの出動要請までに20分かかった。それから医師が現場に向かい患者に接触するまでに18分、病院に連れて戻るまでに29分、つまり病院で根源的な治療ができるまでに計67分もの時間がかかり、ゴールデンアワーが達成できなかった。しかし、D-Call Netならば、ヘリ要請までの時間を3分と大幅に短縮できる。1分1秒を争う救急医療での17分間の差は非常に大きい」

D-Call Netにより治療開始までの時間が17分間も短縮できる

全国に広がるD-Call Netの協力病院

 

車が病院につながるインフラ

HEM-Netの石川博敏理事

 システムの核となる死亡重症確率アルゴリズムは、過去の約280万件(警察庁統計データ、過去10年分)の事故データを統計処理してトヨタ、ホンダ、日本大学、日本医科大学が開発した。今後も継続的に検証を続けるという。ドクターヘリを出動要請するか否かの判断基準は外傷の重症度を標準化したAIS(Abbreviated Injury Scale)を使う。日本の技術力と研究の蓄積が結実した結果といえる。

 HEM-Netの石川博敏理事は「車が病院につながるインフラが初めてできたということは画期的なこと」と話す。

 2015年からの2年半の試験運用期間中、実際にドクターヘリが出動したのは2回。そのうち、18年1月に発生したトヨタ車と軽自動車の衝突事故では、車に乗っていた人たちがドクターヘリで千葉北総病院に運ばれ、軽自動車の乗員が胸部骨折で入院した。これは工学的データに基づき、自動的に医者を派遣するシステムが稼働して治療した世界初の症例となった。

日本医科大学千葉北総病院救命救急センターのドクターヘリ運航管理室

 だが、現時点では、D-Call Netはそれほど知られておらず、広く普及しているとはいえない。対応車両はトヨタとホンダの一部モデルのみで、現在は計約50万台。日本全国を走る車両6000万台のうちの1%にも満たない。トヨタの場合は車載機で通信する方式で、対応車両はレクサス、クラウンなどの高級車に限られる。一方で、ホンダはアコード、フィットなどの量販車でも対応しているが、通信には事前にカーナビと連動させておいた乗員の携帯電話を使うため、すべて接続しているとは考えにくい。

 石川理事は「今はドライブレコーダーにも通信機能が付いている。これからは、費用を抑えてクルマに後付けできるなど、(低価格の)軽自動車などにも搭載可能な方法をHEM-Netでも考えていきたい。また、将来的にこうした仕組みが、病院の医療カルテなどのビッグデータ、個人データとうまくつながれば、交通事故の際の救急医療の精度もぐっと高くなってくる」と言う。

 

業界の垣根を超えた連携を

 石川理事の話す通り、自動ブレーキなど安全支援機能が付いたセーフティ・サポートカー(サポカー)が広がってきたことと同様に、こうした仕組みの有用性がユーザーに認知されれば、軽自動車にも広がるだろう。

 また、近い将来、このD-Netのシステムをベースに、次世代通信規格・5Gや、画像データの送信、画像認識への人工知能(AI)活用などの多様なテクノロジーをうまく使うことができれば、車に乗っている人だけでなく、歩行者が事故にあった際にも素早く通報し、救急医療を提供できることもできるだろう。

 一方で、事故に遭った人の重症度に基づいて治療の優先順位を決定する「トリアージ」の判断基準や、データでどこまで重症度を判断すべきか、なども議論が必要になってくる。

独自開発のアルゴリズムに基づき、救急医療の関係者には死亡重症率も併せて配信される

 

 モビリティ業界、医療業界、それぞれのステークホルダーが、さまざまなアイデアを持っている。それら「医・工」が一体となって、インフラをより広く活用するためにどう動いていくべきか。一元的でより効果的なサービスを提供するためには、各業界がサービスをばらばらに提供するのではなく、業界の垣根を超えた議論と連携が必要になってくるだろう。

 

本村友一医師と筆者

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