離島で考える地域交通のあるべき姿(後編)さまざまな個性を持つ瀬戸内の島々で


小豆島で開催されたSIP市民ダイアログでは多様な属性の市民が集まり、モビリティの観点から島の魅力や課題について話し合った。それらの課題にはほかの地域にも共通するものが多い。ただし、日本には有人島が250以上もある。単なる「離島」という言葉では括れない多様性がそこにはあった。

 

Date:2019/1/8
Text&Photo:株式会社サイエンスデザイン 林愛子

前編はこちら

 四方を海に囲まれた我が国は6852もの島しょを有する(総務省統計局、1986年調査)。このうち沖縄や奄美、小笠原などを除いた78地域255島が離島振興法の対象となる(2018年4月1日現在)。市民ダイアログが開催された小豆島も離島振興法の対象だ。

 この法律では国の責務としてインフラ整備や地域間交流の促進等を掲げ、各自治体による離島振興の基本事項の筆頭にも交通を挙げている。産業や雇用ももちろん重要だが、移動が実現できなければ、産品輸送も人的交流も叶わない。移動、すなわちモビリティのデザインは離島振興および地域振興のカギなのである。

 

人口減少と高齢化が進む島の路線バス改革

 香川県最大の島である小豆島には6つの港があり、県庁所在地の高松市のほか、岡山県や兵庫県にも定期便が出ている。防災や急患の際に使うヘリポートはあるが、一般の交通機関としての空路はない。

 島内ではバスやタクシー、レンタカー、シェアサイクルなどが利用可能。離島といっても、小豆島は面積が153平方kmもあり、主要道路を一周すると100kmを超える。島民はもちろん、観光客にとっても公共交通は必須なのだが、経営環境は厳しい。

 島唯一の路線バス事業者は2つの自治体(土庄町と小豆島町)と有志の出資で2009年に設立された小豆島オリーブバスだ。それ以前は小豆島バスが路線バス事業を担っていたが、多くの路線バス事業者と同じく、利用者数減少と赤字路線増加という課題を抱えていた。事業撤退に至る背景はもっと複雑だが、ここでは触れない。ただ、経営悪化の根底には人口動態にある。

映画のロケで使われたセットを生かした「二十四の瞳映画村」。小豆島の人気観光スポットのひとつ

 小豆島の人口は約2万8000人。離島としては多い方だが、最盛期の1947年には約6万2000人が住んでいた。人口は70年間で半分以下になったのだ。65歳以上人口の割合(高齢化率)は全国平均27.7%を上回る40%超で、少子化も進んでいる。名作『二十四の瞳』のモデルとされる学校も、高峰秀子主演映画のロケ地の学校も閉校になった。また、2017年には土庄町の高校が閉校となり、島内の高校は香川県立小豆島中央高等学校のみである。

 もとより島内に大学はなく、進学者は海を渡る。そのまま島に帰らない若者も多い。島内で就職しても、一人一台のクルマ社会だ。かくしてバス利用者は減少、利用者が少ないから減便、減便による利用者離れ、収入減を補おうと運賃を値上げ、不便かつ割高でさらなる利用者離れ……。小豆島バスはそんな負のスパイラルに陥った。

 運営を引き継いだ小豆島オリーブバスは大胆な再建策に取組んだ。運賃体系を見直して運賃の上限を大幅に下げ、割安な定期券を導入し、利便性向上に取り組んだ。その結果、通学利用者や観光客、小豆島中央病院などへの利用者が増えているという。

 いま、全国各地のバス事業者が陥っている苦境は補助金さえあれば事業者単独で乗り越えられる類のものではない。小豆島では地域と事業者が二人三脚で改革に取組み、公立の病院と高校という、二大拠点の開設に伴って生まれる人の流れに路線バスを適応させることで経営強化を図った。小豆島オリーブバスは地域と一体で行った公共交通改革の好事例と言えるだろう。

 

夜間の移動手段がなくなると困ること

醤油や佃煮は小豆島の特産品であると同時に、それらの生産拠点が集積する地区を「醤の郷」と呼び、観光資源としても活用している

 交通に関連した課題ではナイトタイムエコノミーが挙げられる。現在、タクシー事業者は採算性の観点から夜間営業を縮小しており、島唯一の運転代行業者は高齢化を理由に先ごろ廃業した。夜間の移動手段がなくなると飲み会を開きにくくなり、それが飲食店などの業績悪化を招きかねない。いま小豆島の夜は良くも悪くも静かだ。

 観光産業への影響も懸念される。日没後に行くところがなければ、観光客の宿泊に対するモチベーションは下がる。実は、小豆島は日帰り観光が難しい場所ではない。高松までのフェリーは所要時間60分。約1時間に1便が出ており、最終便は20時以降。朝から小豆島を巡り、夜は高松で過ごすことも可能だ。宿泊か否かで、地元への経済効果はまったく違ってくる。小豆島にとって観光産業は伸びしろが見込める産業だけに、ナイトタイムエコノミー活性化は重要な課題だと言える。

 ただ、前編でも触れたように、小豆島には課題があるものの、UターンIターンの若者がいて、産業もあり、モビリティへの投資効果も期待が持てる。市民ダイアログに参加した高校生が「都会ではできない自動運転の実証実験を小豆島で」と訴えたように、新しいテーマに挑戦する体力もありそうだ。

 人口減少、少子化・高齢化、公共交通の苦境、第三次産業への影響など、小豆島が抱える課題は日本中どこででも起きていること。そう考えると、小豆島の取り組みや今後直面する課題には多くのことを学べそうだ。

 

瀬戸内海に浮かぶ人口わずか20人の離島

 小豆島以外の離島はどうだろうか。

 離島振興法が対象とする250超の有人島には約38万人が住まう。このうち淡路島や佐渡島などの大きな島だけで人口は30万人超に達し、人口偏在は顕著だ。

 香川県では24の島に約3万4000人が暮らす。そのうちの約2万8000人が小豆島。瀬戸内国際芸術祭で有名な直島は人口3000人、お隣の豊島が900人弱。残る21の島に2000人強が分散し、人口が百人未満の島も多い。

 そんな小さな島の一つ、丸亀市の手島を訪ねた。

 丸亀港からフェリーに乗り、約1時間半で手島に到着。この航路は1日5便程度(往復10便程度)。上下線とも朝6時台から運航するが、丸亀発最終便は17時半とやや早い。

 手島の面積は3.4平方km。集落は島の中心の港付近にあり、南北には小高い山がそびえる。島内の移動はもっぱら徒歩か自転車だ。車もあるが、道は軽自動車がやっと通れるくらいに狭い。手島を含む塩飽諸島周辺は戦国時代に塩飽水軍が活躍した場所で(愛媛側は村上水軍)、道が狭いのは海賊たちが戦った時代の名残と言われている。

 かつて島には600人以上が住んでいた。小学校も中学校もあったが、30年前に閉校となった。そのころの小学生はいま子育て世代のはずだが、手島にはいない。現在の島民は20人ほど、平均年齢は80歳に近い。

京都大学の学生が希少な唐辛子の栽培を体験できるとして関心を寄せ、香川本鷹の苗植えや収穫に参加している(提供:四国夢中人)

 「子どもたちは進学や就職で島を出た。でも、帰ってきてほしいとは思っていない。手島には仕事がないからね。食糧不足の時代はイモでも何でも作れば売れたが、どこでも作れる野菜を島の外で売ろうとすると、輸送費の分だけ売価が上がり、競争に勝てない」

 独自の農作物もある。幻の唐辛子と呼ばれる「香川本鷹」だ。豊臣秀吉の朝鮮出征の際に持ち帰った唐辛子がルーツで、一流料理店からも引き合いがある名品だという。乾燥して出荷する唐辛子は軽く日持ちがするので、島の農業に向く。

 一時期は安価な輸入唐辛子に押されて栽培が途絶えかけたが、10年以上前に復活プロジェクトが起こり、手島からも一定量を出荷できるまでになった。しかし、手島産の香川本鷹は再び危機にある。いま手島で香川本鷹を栽培しているのはただ一人。後継者はいない。

 

モビリティと地域振興のあるべき姿

四国夢中人の尾崎美恵さん

 NPO四国夢中人の尾崎美恵さんは10年ほど前から海外に向けて四国のPR活動を行ってきた。俳句集を贈ったことがきっかけでEU大統領に会ったこともある。

 

 いま力を注いでいるのは手島のPRだ。「島の人たちを元気にしたい」と、2017年から活動を開始。農業や環境問題の行政担当者、ジャーナリスト、企業関係者らに声をかけ、島民と一緒に竹林伐採やバーベキューなどをしながら、島の魅力を発掘している。港から集落に続く道沿いに花を植える「花と昆虫の楽園キャンペーン」も好評だ。花の苗は香川県立丸亀養護学校の園芸の生徒が種から育て提供してくれたもの。

 「手島は欧州の人たちに愛される観光地になり得る。日本人はテーマパーク化された観光地を好むが、欧州の人たちにその発想はない。むしろ彼らは手つかずの自然、昔ながらの日本の暮らしに触れたいと考えている。手島はそういった欧州型観光に向く」

 事実、手島は完成された観光地ではない。島内には商業施設がなく、宿は閉校の小学校中学校を改装した交流施設のみ。風呂はあるが、合宿所のように布団を敷き、持ち込んだ食材で自炊する。ただ、自然が豊富で、文化的背景もあり、人が良く、時間はゆったりと流れる。それを豊かだと感じる人に手島を見てもらいたいと、尾崎さんは考えている。

 「企業がリゾート開発すれば一気に便利になるだろうが、そんなことは島民の誰も望んでいない。かといって、何もしなければ、手島はいずれ無人島になってしまう。無人になれば、あっと言う間に猪の島になる。産廃の不法投棄なども心配。そうならないために、花のキャンペーンのようなお金をかけずに出来るPRを地道に重ねていきたい」

 尾崎さんの取組みは観光振興であり、地域活性化策である。そのためには観光客を招く必要があり、航路は島に入る唯一の交通手段だ。小豆島の観光振興にはモビリティの量と質の充実が必要だが、手島には量は必要ない。島民20人の島の受け入れ人数には限界がある。こだわるべきは質だ。交流を持続させるために、無人島にさせないために、モビリティができることはなにか。「島の観光振興のためにフェリーを」と言えば、小豆島も手島も同じだが、目指すゴールによって、その意味合いはまったく異なる。人の往来があるから交通が必要だが、交通があるから生まれる人の交流もある。

 「一くくりに離島という言葉では語れない」。尾崎さんの言葉が耳に残る。

 

花を植えるときはボランティアらが手伝うが、普段の世話は島民が担うため、なるべく手のかからない品種を選んでいるという(提供:四国夢中人)

“離島で考える地域交通のあるべき姿(後編)さまざまな個性を持つ瀬戸内の島々で” への1件のコメント

  1. より:

    とてもわかりやすい

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