モビリティ再考(後編) 押し寄せる電動化と自動化の波を読み解く


昨年の自動車業界を騒がせたトレンドのひとつが電動化だ。きっかけは、フランスとイギリスが2040年までにエンジン車の販売禁止をアナウンスしたことだった。自動車メーカーからも電動化の方針が相次いで発表されている。しかし、世界中が“EVシフト”していると受け止めるのは早計だ。

2017/1/22

モビリティジャーナリスト&モータージャーナリスト
森口将之

(前編はこちらから)

EVかエンジン車か、不毛な二者択一議論

 フランスとイギリスがエンジン車の販売禁止を打ち出し、中国やインドもこの流れに追随するような発表を行った。一方、自動車メーカーではボルボが2019年に全車種を電動化すると公言。ジャガー・ランドローバーなども同様の方針を打ち出した。
 ここで注意したいのは、いずれも禁止・廃止するのは純粋なエンジン車だけで、モーターを組み合わせたハイブリッド車は容認していること。さらにボルボの発表を見ると全モデルに電気自動車(EV)、プラグインハイブリッド車、もしくはマイルドハイブリッド車をラインナップするとあり、残りはエンジン車でも良いことになる。
 彼らはそこに電動化という言葉を使った。我が国ではこのアナウンスをEV化と取った人がおり、日本は電動化に遅れたと報じるメディアが見られた。
 この流れに一石を投じたのが日本のマツダだ。同社は昨年8月「サステイナブル“Zoom-Zoom”宣言2030」を公表した。この時はスカイアクティブXと名付けられた次世代エンジンに注目が集まったが、同時に提唱したのが「Well-to-Wheel(燃料採掘から車両走行まで)」の考え方だった。
 EVはたしかに走行中にはCO2を排出しないが、電動車両の増加で需要が高まる電力を火力発電で賄えばそこでCO2を出すことになる。こうした走行以外の分野を含めた企業平均CO2排出量を、マツダは2010年比で2030年までに50%、2050年までに90%削減したいとしている。
 こうした状況を受けて現在の日本では、EV推進派とエンジン車擁護派が火花を散らしているような印象を受ける。しかし筆者はこのどちらにも属さない。モビリティという視点で見れば別の考え方があるからだ。それは電動化と都市化をリンクして考えることである。
 都市化については前回の原稿でも触れたが、国連の統計によれば、1950年には30%だった都市部の人口の割合が2014年には54%に伸びており、2050年には66%まで増加すると予測されている。東京のようないわゆるメガシティもアジアやアフリカなどで増加していくという。
 こうした中で必要とされるのは、都市部と農村部とで移動のあり方を分けるべきではないかということだ。どこまでが都市部でどこからが農村部かという判断は議論の余地があるが、環境問題が深刻で人口集中も顕著な大都市はEV普及を進め、過疎化によりインフラ整備が難しい地方はエンジン車を残すのが望ましいのではないかと考えている。
 その枠内で地方の中心市街地は自動車の乗り入れを制限するなど、状況に応じて細かい規制を実施すべきではないだろうか。
 都市部の移動は短距離で完結することが多いので、EVの欠点である充電時間の長さや航続距離の短さは、現状の電池技術でもさほど問題にならない。パリの「オートリブ」のようにシェアリングでの運用とすれば、充電時間だけでなく車両価格についての不満も解消できる。

 

モビリティ視点で見る電動化と自動化

Audi「A8」 (C)Audi AG

 自動車に先駆けて電動化を推進していった鉄道の世界にも目を向ける必要があるだろう。日本でも欧米でも、輸送量が多い大都市周辺は電車、輸送量が少ない農村部は気動車(ディーゼルカー)という使い分けが一般的になっているからだ。電車は排出ガスは出さないもののインフラ整備に費用が掛かる。ゆえに本数が少ない農村部は気動車のままとしているのである。
 農村部は人口が少ないので、多くの住民が自動車で移動しても大気汚染はさほど深刻にはならないし、鉄道の項でも書いたが充電用インフラ整備は費用対効果を考えれば旨味は少ない。エンジン車やハイブリッド車のほうがモビリティとしての利便性は高いのではないかという気がする。
 では電気はどうするか。発電は農村部に担当してもらうのが一般的だろう。生活機能が高度に集積した都市部で、発電所のための場所を確保するのは難しいからだ。都市部は消費する場所、農村部は生産する場所であり、分けて考えていくのが妥当だと感じている。
 自動車業界関係者がこうした議論をあまり口にしないのは、自分の意志で好きな場所に行け、ドアtoドアで移動できるという魅力が、都市部と農村部の境目を薄めてしまったためではないだろうか。
 それによって地方都市でのドーナツ化現象やシャッター通りなど、さまざまな問題が出てきているわけであり、いま一度両者の役割分担をきっちり認識する必要がありそうだ。
 もうひとつ、電動化と並んで話題を集めたトピックスが自動化だ。なかでもアウディの新型A8発表はセンセーショナルだった。市販車では世界で初めて公道での自動運転レベル3を実現したと大々的にアピールしていたからだ。
 しかし内容をみると、レベル3が可能なのは自動車専用道路での60km/h以下であり、渋滞した高速道路などでしか使えない。しかも発売は2018年で、ドイツなどレベル3を合法化したごく一部の国や地域に限定される。加えて価格は日本円換算で1000万円以上という超高価格車である。
 現在の自動運転ブームの火付け役と認識しているGoogleは、自動運転の研究開発の目的として交通事故減少を挙げており、卵型のプロトタイプには目が不自由な高齢者などを乗せていた。一方のアウディA8は富裕層向けに渋滞時間の有効活用を最大の魅力として挙げている。

過疎化が進む地域で公共交通を成立させるには

シオンの無人バス

 筆者は自動運転という技術を、既存の安全快適技術とは分けて考えるべきではないかと思っている。なぜなら目が不自由な人など、これまで自動車を運転できなかった人に移動の自由を与えることができるからだ。つまり0を1にするテクノロジーであり、1を1.1や1.2にする既存の技術とは明らかに違う。
 とりわけモビリティという視点では、世界でいち早く移動権を明文化したことで評価されたフランスの法律LOTIが掲げているように、誰もが容易に、低コストで、快適に、社会負担を掛けずに移動できることこそ重要である。
 であれば自動運転こそ、富裕層のための付加価値として搭載する以上に、自動車を運転できない人をはじめとする交通弱者のために率先して導入すべきではないだろうか。その点で個人的に注目しているのが、無人運転移動サービスと呼ばれるもうひとつの自動運転だ。
 この分野では昨年、国土交通省が道の駅を起点とした地域輸送の実証実験を行い、警察庁は遠隔操作による公道での無人運転実証実験を許可するなど、大きな動きが起こっている。しかし筆者が訪れたスイスのシオンという都市では、さらに一歩進んだ取り組みを行なっていた。
 ここでは旧市街の公道を無人運転車がバスとして走っている。スピードこそ20km/h以下ではあるが、運転手がいなくても加速し、曲がり、歩行者が前方を歩いていれば減速し、急に横切れば停止する。
 つまりアウディA8より前に、一般人を乗せて公道を走る自動運転車は存在していたことになる。
 前に紹介した国交省の実証実験でも使われている無人運転車は、自動車メーカーの自動運転車とは違い、バスやタクシーのような公共交通として実用化されることになる。この手法にもまた注目している。地方都市の公共交通の多くが存続の危機に立たされているからだ。
 日本の公共交通は運賃収入を原資として運行している。だから過疎化が進めば経営難になり減便や廃止につながる。ちなみに欧米では公共交通は税金主体で運行している。おかげで地方都市でも車両は新しく本数は充実している。事業ではなくインフラとして考えているからだろう。
 日本も欧米のように税金を投入しての運営が望ましいが、もうひとつ着目すべきはバスやタクシーの人件費が経費の半分以上を占めていることだ。無人化が進めばこの部分が圧縮できるので経営は楽になる。路線や車両、本数の充実が期待でき、地方の移動を救う救世主になる可能性がある。
 電動化や自動化は、技術視点やビジネス視点で語られることが多い。しかし筆者は移動する一人ひとりの立場になって考えるモビリティ視点もまた大切だと思っている。

動画

<スイス シオンの交通の様子>

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